読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

旧浦山村茶平集落(2017.4)

現地指導(関東)

今回は埼玉県秩父市にある茶平集落を訪問しました。茶平集落に関しての記事を考えていましたが、茶平集落を含めた浦山地区の歴史に興味を惹かれましたので今回は茶平集落の写真を交えつつ浦山地区について紹介します。ちなみに浦山という地名の由来ですが、武甲山の裏にあるため裏山、それが転じて浦山という地名になったと言われており、江戸時代中期に執筆された「新編武蔵風土記稿」が最も古い記述とされています。

f:id:Account709:20170419140929j:plain

秩父盆地から浦山川沿いに外れた浦山地区の歴史は深く、特に最も上流に位置する冠岩集落は、平将門の一族が逃げ延びた集落といわれています。1400年代に建立された落武者を供養するための碑が現在でも残っているようです。源流となる鳥首峠を越えた先は関東管領上杉氏の重臣で、平将門の子孫を名乗る青梅を本拠地とする三田氏(諸説あり)の所領でした。今回は割愛しますが、その青梅や奥多摩には平将門に関する伝説の多い地域でもあります。

f:id:Account709:20170419140939j:plain

現在の浦山地区は浦山ダム建設によりダム周辺を指していますが、残念ながら湖底に沈んだ集落もあります。その一つが川沿いにあったために水没した寄国土(ゆすくど)集落で、ダムの湖岸を走る埼玉県道77号のトンネルの名前に引継がれ今日まで集落の存在を伝えています。調べた限りで判明している水没した他の集落は、大岩下(おおいわした)・土庄(つちしょう)・道明石(みちあかし)・森河原(もりがわら)の集落です。 

f:id:Account709:20170419140946j:plain

茶平集落のように山の中腹に集落があったため水没を免れた集落であっても廃村となった集落が幾つもあります。江戸時代中期には裏山地区全体で約17集落に約180軒の規模を誇りましたが、残念ながら今日では辛うじて幾つかの集落は残すのみとなっています。

以前紹介した峰集落ですが、入植者は秩父から来たとされていますので、もしかすると遠い繋がりがあるのかもしれませんね。