大井川鐵道井川線(2017.3)

前回からの続きです

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井川駅より大井川鐵道井川線に乗車し尾盛駅へ向かいます。尾盛駅秘境駅として有名で、現在は周囲には人家がなく駅にアクセスする道路もありません。嘗てはダム建設関係者や林業関係者に利用されたようで、駅周辺には幾つかの石積みの擁壁と廃屋が残されています。

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駅には「茂る緑に豊かな社業 駿遠林業株式会社 尾盛造林所」の看板が辛うじて残っており、調べてみると現在の株式会社スンエン(本社:静岡県島田市)だそうです。詳細は不明ですが、最盛期には小学校や診療所もあったようです。

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今さらではありますが簡単に井川線の歴史を紹介します。

1935年に大井川ダム建設のための資材輸送手段として、大井川電力の出資によって千頭~奥泉堰堤で開通し、翌1936年にはダムの完成により木材で筏を組んで下流に運ぶことが出来ないため木材の輸送手段として転用され1067mmに改軌されました。

1951年からは中部電力が所有することになり、現在の井川線の全線に当たる1954年に千頭~井川~堂平の全線が開通し、奥泉発電所や井川ダムの建築資材を輸送を開始しました。

しかし1966年には木材搬出の拠点であった堂平駅と井川駅~堂平駅間が廃止され、貨物輸送がほぼ終了しました。現在でも少量の貨物輸送を行なっています(いるらしい)が、この時より旅客輸送がメインとなりました。接阻峡から奥泉の小学校などへの通学利用客もいるようですが、ほぼ観光客の運賃収入(定期外収入)に需要に依存しています。なお中部電力は年間約三億円の赤字の補填を行っています。

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1990年に長島ダム建設にともなうルート変更が行なわれ、日本最急勾配となる90‰の急坂となる最短ルートが採用されました。‰は鉄道で用いられる勾配ですが、千分率(‰)を道路で用いられる百分率(%)に変換する時はゼロを後ろから取るだけですので9%となります。1000mの距離で90mの高さを登る坂道(100mで9mの高さ)は車でも急坂ですが、特に坂道に弱い鉄道では一般的なレールと車輪の摩擦抵抗に頼る車両では登攀できないので日本で唯一のアプト式機関車で対応します。僅か一区間だけのための線路設備と電気機関車を用意することは非効率に思われますが、勾配緩和のための迂回等で対応を建設するよりも早くて安かったようです。