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猿島(2017.1)

前回、前々回と書いてきた三浦半島の小旅行ですが今回で最後になります。

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猿島への連絡船は夏季と冬季ダイヤが設定されており、オフシーズンである冬季ダイヤは約1時間に一本の設定となっています。ゆっくりと島を一周しても約1時間程度ですので、ちょうど良い時間設定かと思います。

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猿島の要塞としての歴史は江戸時代末期にまで遡ります。1847年に幕府は「御固四家」体制を敷き、東京湾の防衛を川越藩(埼玉県川越市)・彦根藩(滋賀県彦根市)・会津藩(福島県会津若松市)・忍藩(埼玉県行田市)の藩に負わせ、猿島台場は川越藩の分担となりました。

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大政奉還により幕府から明治政府へと政権が変わりますが、明治時代においても(京都に比べれば)東京が事実上の政治の中心地であったため猿島台場は明治時代も軍事的に重要な拠点として残ります。東京湾の防衛を強化するため明治政府は東京湾に要塞としての人工島である第一海堡・第二海堡第三海堡を築き、江戸時代からの設備しかなかった猿島を近代化し、東京湾の入口に防衛ラインを構築しました。

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第二次大戦においても東京防衛のための役目に供されましたが、終戦により連合国に接収され要塞としての歴史を終えました。第一海堡・第二海堡灯台として活用され、猿島は観光地として今日まで残っています。

なお、第三海堡は30年に及ぶ難工事の末の完成でしたが、関東大震災の被害が特に大きかったため僅か2年の運用に留まりました。東京湾で最も狭い浦賀水道に設置されていたため海難事故防止のため完全に撤去され、一部は横須賀市うみかぜ公園に展示されているようです。