峰集落(2017.1)
今回は奥多摩の廃村である峰集落に行ってみました。奥多摩は東京都心より電車で約2時間とアクセスも良く、また歴史も古いため様々な伝説や遺構がある地域です。峰集落は鳩ノ巣駅より約1時間ほど山道を進んだ場所にあり、登山道を外れてから進む距離も約約15分ほどですので安心です。
*簡単に歴史を調べてみましたが、詳細が分かっていない部分が多いため(?)としている箇所が幾つかあります。
峰集落は秩父(?)より1420年(?)に入植が始まったとされており、材木・木炭の製造、狩猟を生業とする7世帯(?)の集落として歴史が始まります。峰・峯・峰平・棚沢峰集落など幾つかの表記がありますが、各文献などに存在が確認されています。
1899年(明治32年)に柳田國男がこの地を訪れ、当時の名主であり古里村の村長でもあった福島文長宅に二泊しており、その後の著作である「後狩詞記(のちのかりことばのき)」で紹介されたことで峰集落が有名になりました。住民の離村の詳細は後述しますが、福島文長は1933年に集落を離れています。
昭和初期の最盛期には16世帯(?)の集落となりましたが、1965年(?)に電気が通じたことや安価な輸入木材などにより徐々に住民が減少し、1972年に最後の住民であった福島儀左衛門が去ったことにより峰集落は歴史を閉じることになりました。高度成長期ぐらいまでは林業で生計を立てている山間の集落のほうが裕福な場合が多くあります。
現在では集落は全て解体されていますが、日天(にちてん)神社だけは今でも残っており大切に管理されています。
EOS5D買いました
EOS40Dを長らく借りていましたが、そろそろ返さないとなぁと思ったので後継機としてEOS5Dを購入しました。購入といっても趣味に何十万円とお金をかける予定はないので、EOS10D同様に今回も中古での購入です。
デジタル分野における技術革新は日進月歩で、特に高感度撮影においては素子性能と映像処理エンジンが全てですので、フルサイズといえど最新機種には敵いません。今のところ自分の撮影スタイルでは必要が無いので満足しています。
2005年発売機を今になってレビューしても意味がないと思いますので、他のサイト等を参照してもらえればと思います。08年に購入したEOS10Dとは今年で9年の付き合いになりますが、今も動作不良がないので偶に撮影に連れ出す予定です。
- EOS 5D →購入
- EOS 40D →返却
- EOS 10D
- SAMYANG 8mm f/3.5 Fisheye →売却
- EF 16-35mm f/2.8 L USM →購入
- SIGMA Art 30mm f/1.4 DC →売却
- SIGMA 50mm f/1.4 EX
- EF 70-200mm f/2.8 L USM
EOS5D購入に際してデジタル専用レンズを売却してズームレンズを購入することとしました。10Dの為だけにレンズを置いておいても活用機会が減りますし、持っていても値上がりすることもない(と思われる)レンズなので売却することとしました。
他人のカメラ事情に興味がある人は少ないことは承知ですが、単に言いたいだけですのでご容赦ください。
猿島(2017.1)
前回、前々回と書いてきた三浦半島の小旅行ですが今回で最後になります。
猿島への連絡船は夏季と冬季ダイヤが設定されており、オフシーズンである冬季ダイヤは約1時間に一本の設定となっています。ゆっくりと島を一周しても約1時間程度ですので、ちょうど良い時間設定かと思います。
猿島の要塞としての歴史は江戸時代末期にまで遡ります。1847年に幕府は「御固四家」体制を敷き、東京湾の防衛を川越藩(埼玉県川越市)・彦根藩(滋賀県彦根市)・会津藩(福島県会津若松市)・忍藩(埼玉県行田市)の藩に負わせ、猿島台場は川越藩の分担となりました。
大政奉還により幕府から明治政府へと政権が変わりますが、明治時代においても(京都に比べれば)東京が事実上の政治の中心地であったため猿島台場は明治時代も軍事的に重要な拠点として残ります。東京湾の防衛を強化するため明治政府は東京湾に要塞としての人工島である第一海堡・第二海堡・第三海堡を築き、江戸時代からの設備しかなかった猿島を近代化し、東京湾の入口に防衛ラインを構築しました。
第二次大戦においても東京防衛のための役目に供されましたが、終戦により連合国に接収され要塞としての歴史を終えました。第一海堡・第二海堡は灯台として活用され、猿島は観光地として今日まで残っています。
なお、第三海堡は30年に及ぶ難工事の末の完成でしたが、関東大震災の被害が特に大きかったため僅か2年の運用に留まりました。東京湾で最も狭い浦賀水道に設置されていたため海難事故防止のため完全に撤去され、一部は横須賀市のうみかぜ公園に展示されているようです。
京急バス海35系統(2017.1)
海35系統は三崎東岡⇔三浦海岸を結ぶ路線で、東京湾(浦賀水道)・相模湾・キャベツ畑・大根畑といった三浦半島を代表する景色を全てを車窓に含む約50分の路線です。城ヶ島か猿島のついでに書こうかなと思っていましたが、本当に景色が良かったので単独記事にすることにしました。
三浦海岸駅を発車すると直ぐに神奈川県道215号(上宮田金田三崎港線)へ向かい、浦賀水道と対岸の房総半島を望みつつ入り組んだ海岸線を進みます。景色もよく交通量も比較的少ないのでサイクリングでも人気の道路ですね。
バスは毘沙門バイパスではなく、三浦七福神の第二番である慈雲寺のある毘沙門地区を経由します。行き違いできないほど狭い道路を進みますが、こうした生活感のある道路を進むことも路線バスの旅の魅力です。なお、この区間を通るため海35系統は大型車(約11m)ではなく中型車(全長約9m)での運行となっています。
岩堂山の坂を登りきるとキャベツ畑・大根畑・相模湾・伊豆大島・伊豆半島・箱根・富士山・丹沢山地の広がる景色へと変わります。
路線バスでの移動は効率の良いとはいえませんが、自動車や列車だと気付かずに通過してしまうような生活や歴史の雰囲気を身近に感じることができると思います。
久留和漁港・城ヶ島(2017.1)
三浦半島を主に路線バスで巡ってみました。鎌倉などで一泊する利用者を想定した2day切符を購入しましたが、フリーエリア以北の運賃等を払えば二日連続で東京からの利用も可能です。
金沢八景で下車し、朝比奈峠を経由して鎌倉へバスで向かいます。逗子、林を経由して最初の目的地である久留和漁港へと向かいました。詳細は分かっていませんが、生簀と防波堤を結ぶトロッコであったことは間違いないようですが、その生簀ではおそらくその伊勢海老やアワビなどを一時保管するために使われていたのではないかというところまでしか分かっていません。
橋は橋桁をレールが兼ねた非常に簡素な構造になっています。海面から約2mですので、波の高い日は波がレールを直撃するであろう高さです。この場所は有名ですので、ネット上には幾つも同様の写真があり徐々に崩壊している様子がわかると思います。
その後は三崎口経由で城ヶ島へ。日本の地質100選に選ばれているように地質とかの視点で観察すると面白い島ですが、残念ながら義務教育レベルの知識しかないので特に書けることがありません。今でも太平洋プレートは年に約1mmの速度で動いており、1000年後には城ヶ島の南部の海底が隆起し遠浅の海と岩礁が広がり、100万年後には相模湾はなくなり三浦半島は1000mの山になると予想されているようです。