八丈島(2017.12)

久しぶりの更新になります。今回は二泊三日で八丈島に行ってきました。 

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八丈島へのアクセスは浜松町からの海路と羽田空港からの空路の二択となります。今回は往復ともに海路を利用しました。船は浜松町を22:30に出港し八丈島には翌8:50に到着します。黄色と緑色の船体が特徴的な橘丸は2014年に就航の新しい船で各船室にはコンセントも設置されており、二等船室のみ船室の定員8名に対して2つだけの設置ですが、特二等以上は一人に一つは確保されているのでコンセントの心配をする必要はありません。復路は八丈島9:10→浜松町19:50と昼行での航行となりますので、御蔵島や三宅島への着岸といったイベントはありますが時間の潰し方を考えてから乗船する必要があります。割高にはなりますが復路は空路を利用することも考えてみても良いと思います。

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八丈島は東西の火山の間の僅かな平地に空港と主要な市街地が広がっており、島自体の面積も山手線内と同じくらいの大きさですので原付自転車での移動が便利です。原付のレンタル料金は軽自動車と大差ないのですが、やはり天井と窓がない分だけ発見は多いもので気が向くままに進んだり立ち止まることが出来ることが何よりも魅力です。なお八丈島黒潮の影響により「常春の島」と呼ばれるような温暖な気候ではありますが、やはり冬のバイクは寒いのでしっかりとした防寒対策が必要です。それに加えて天気が急激に変化するので併せて注意が必要です

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八丈島は1606年に最初に宇喜多秀家が流刑に処されて以降、約1900人の流刑者が送られました。そもそも耕作できるような平地が少ないことに加えて火山灰地であるため、八丈島では常に五穀や野菜が不足しており、元々の島民ですらも常に飢饉の危機に晒される厳しい生活を送っていたようです。

御定書百箇条により罪状等で流刑地が定められており

  • 近流:大島・新島(主に軽犯罪者)
  • 中流:三宅島(主に破廉恥犯)
  • 遠流:八丈島(主に思想犯)

そのため八丈島は武士や僧侶が多かったことが特徴でした。島での生活は「当人渡世勝手次第」と呼ばれ、九尺二間の掘立小屋が与えられ島民に学問を教えたりするなど基本的には自由な生活を送りました。江戸の治安が悪化すると凶悪犯が流されてくる機会が増えたために島の治安も悪化することがあったようです。

1881年に全ての流人が赦免されるまでの約200年の間で25件の島抜け騒動がありましたが、成功したのは僅かに一件のみでした。八丈島島唄の一節にもある「鳥も通わぬ八丈島を越えよと越さぬ黒瀬川」と唄われる御蔵島八丈島の間を流れる7~13km/hの非常に速い黒瀬川と呼ばれる黒潮の流れが行く手を塞いでいたことが成功率の低さの原因のようです。

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余談ですが以前の伊豆大島の際も紹介しましたが八丈島には株式会社みずほ銀行浜松町支店の八丈島特別出張所があります。

  • 伊豆大島:築地支店大島特別出張所(619)
  • 三宅島:東京中央支店三宅島出張所→2011年に東京中央支店へ統合
  • 八丈島:浜松町支店八丈島特別出張所(895)

なお富士銀行時代には小笠原諸島の父島に出納窓口が存在していました

日光沢温泉(2017.9)

今回は奥鬼怒温泉郷にある日光沢温泉へと行ってきました。その呼名が適切なのかは別として「関東最後の秘境」として有名でしたが、関東地方でありながら往復で一日を要してしまうアクセスの難しさからかなかなか行くことができませんでした。

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  • 宇都宮6:30→霧降高原キスケ平原地8:00-20(休憩)→夫婦淵駐車場9:40

宇都宮を早朝に出発し霧降高原を経由して約3時間で登山道の始点となる夫婦淵駐車場に到着しました。栃木県道23号は概ね行違い可能道路で快適に走ることができますが、 本数は少ないながらも市営バスや道中にある温泉への納品のトラック等が走っているので注意が必要です。 

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  • 夫婦淵駐車場9:45→八丁の湯10:50→加仁湯11:00→日光沢温泉11:10

夫婦淵駐車場は尾瀬方面への登山口への起点の一つで、奥鬼怒温泉へのアクセスする宿泊客にも利用されています。なお、宿泊者にはバス送迎のある旅館もありますが、今回目指す日光沢温泉には送迎はありません。奥鬼怒温泉への遊歩道は夫婦淵駐車場前の橋を越えて直ぐに急な坂がありますが、それ以外は緩やかな坂で特に道に迷うような場所もありませんでした。ただし、標高1400mの高地ですので急な天気の変化や寒暖差、そして熊に対する注意は必要です。 往復の道中は携帯電話は圏外になりますが、NTTdocomoとauは旅館のある近辺では圏内でした。(Softbankは不明)

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温泉に着くと柴犬が出迎えてくれます。入口に下がる鐘を鳴らして旅館の従業員を呼び入湯料500円を払います。沢へ下ったところに2つの露天風呂があり(内湯は宿泊者専用)、それぞれ異なった雰囲気の泉質となっています。

鬼無里と天武天皇(2017.9)

9/2,3で長野県の鬼無里地区に行ってきたのですが、鬼の無い里と意味深な地名ですので調べてみました。今回は天武天皇による遷都伝説について紹介しようと思いますが、鬼無里の地名の由来ともいわれる鬼女伝説もあり各地によって言い伝えが異なっており調べ始めると非常に多岐にわたる伝承のようですので割愛します。

鬼無里は戸隠と白馬の中間地点に位置する鬼無里盆地を中心とした地区で、主に戸隠方面からの長野県道38号(戸隠往来)と国道406号(鬼無里街道)の交差点が中心街となっています。倶利伽羅峠へ向かう木曽義仲が通ったとされる古くからの古道で、山に囲まれた小さな山村でありながら交通の要衝で江戸時代には関所も設置されていました。

f:id:Account709:20170906154730j:plainさて、本題とも言える遷都伝説についてです。天武天皇(673~686年在位)が飛鳥浄御原宮から信州への遷都を計画していました。各地を巡った使者は水無瀬(今の鬼無里)が遷都に適した場所であるという報告をしました。しかし以前より水無瀬に住んでいた鬼は住処を失うことを恐れたため一晩のうちに山(一夜山)を築き遷都に適さぬ土地へと変えてしまいました。そのことを知った天武天皇阿倍比羅夫を派遣して鬼を退治しましたことで、地名が鬼の無い里となったようです。

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飛鳥(現在の奈良県明日香村)から信州北部への遷都は突拍子もない話のようではありますが、伝説には裏付けがあります。東京(ひがしきょう)と西京(にしきょう)の地名が今でも残っており、東京には加茂神社(賀茂神社)、西京には春日神社が祀られています。賀茂神は平安京春日大社平城京を護る神社であることは有名ですよね。葵祭(賀茂神社)・春日祭(春日大社)・石清水祭(石清水八幡宮)は三勅祭と呼ばれ、天皇の勅使が派遣される皇室と深い関係にある神社です

賀茂神社:京都で最古の神社で平安京の鬼門に位置しています。平安京遷都の際には遷都成功の祈願が行われており、平安京よりも古い歴史があります。

春日神社:710年に平城京遷都の際に鹿島神:武甕槌命(たけみかづちのみこと)を三笠山に祀ったことを起源としており、神社としての成立は768年となっています。春日大社の呼称は昭和21年からと比較的最近のようです。

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天武天皇天皇が代わるたびの遷都ではなく、都市計画に基づく永続的な都を目指し、藤原京として造営(完成は持統天皇の代)しました。また、複都制として683年に難波京(難波宮を引継)を設置し、翌684年に信濃へ使者を派遣したこと自体は記録として残っています。

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現代において「鬼の存在について本当なのか?」という事について疑う人は少ないと思いますが、「これらの話の全てが創作なのか?」と問われれば必ずしも同意できないような1000年の時を越えて伝わる地名に関する伝説に浪漫を感じました。

滑川温泉福島屋(2017.7)

7月中旬に五連休を設定して東北を巡ってみました。その記録は追って公開する予定ですが、今回は滑川温泉福島屋に関してです。

国道13号線(万世大路)板谷峠の県境付近から約10kmほど南西に進んだところにあります。板谷駅周辺の小さな集落を過ぎると民家等は全く存在せず、約4kmほど離れた峠駅が最も近い外界といったところでしょうか。

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 滑川温泉温泉は1742年(文明8年)に斎藤盛房が川で足を滑らせ転倒した際、その時の石が温かかったことで温泉が発見されたそうです。1763年(宝暦13年)に笹木正直(初代当主)が米沢藩の許可を得て開湯しました。

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自動車でアクセスできるとはいえ、かなりの山奥に位置しているおり電力会社の送電を受けることができないため、旅館の目の前を流れる前川に自家製の18kWの水力発電機(一般家庭7軒分の電力量に相当)を設置することによって電力を確保しています。テレビは仙台の各局が写りますし、NTTdocomoのLTEFOMAも若干強度が弱いですが携帯電話も問題なく通信や通話ができます。道路も舗装されていますが、所々で狭い箇所がありますが100mくらい後退すれば行き違いも可能です。

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今回の訪問は行程の都合で湯治宿らしくゆっくりとした時間を過ごすことができませんでした。近くには1941~1970年に採掘された渇鉄を産出した滑川鉱山*の跡地があるようですし、併せて再訪問したいと思える温泉宿でした。

 *滑川鉱山は含有率53%を誇る高品質な鉱山で、戦中は軍需資源として開発され、戦後も東北屈指の鉄鉱山として名を馳せ復興を支えました。一日あたり約100トンの取扱量があり、峠駅までは索道、峠駅から東新潟港までは鉄路、東新潟港から北九州までは海路にて八幡製鐵所まで運んだようです。

切明温泉・河原の湯(2017.6)

少し更新間隔が空きました。今回の訪問先の切明温泉は長野県栄村にあり、秘境100選にも選ばれている秋山郷の最も奥に位置する場所にあります。高崎でレンタカーを借り、越後湯沢、津南町を経由して国道405号線へと進みます。秋山郷秩父の記事に続いての平家落人伝説となりますが、壇ノ浦の戦いに敗れた平勝秀が落ち延びたとの言い伝えが存在しています。

秋山郷とは13の集落の総称で、東西を険しい山に挟まれ、南北を中津川が深い谷底を流れます。僅かに存在する比較的傾斜の緩い場所や平地に集落が点在しています。

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国道405号は群馬県にある野反(のぞり)湖から流れる中津川に沿って整備されており、先述の各集落を経由しつつ上流へと向かい切明温泉まで車の通れる道は続います。道路は細く曲がりくねっており決して快適な道路とは言えませんが、それでも通年に渡って人や物が往来できる道路の存在意義は大きいため雪のない時期は補修工事、雪がある時期は除雪が常に行われている生活に不可欠な道路になります。

なお、切明温泉野反湖の約15kmも国道ではありますが車両通行できない点線国道となっており、約7~9時間を要する登山道になります。ちなみに関東地方を水源とする河川において野反湖(中津川信濃川)と尾瀬沼(只見川→阿賀野川)だけが日本海へと流れ、それ以外の河川は全て太平洋側へと流れています。 

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切明温泉の名物といえば「河原の湯」です。各自が川を掘って湯船を作ります。至る所で温泉が湧いているので川の石を掘り返して湯船を作り、好みの温度となるように川の水を適宜取り込む構造となるように工夫します。しかし、この日は川の水が多かったのか、それとも掘る場所が悪かったのかは分かりませんが、なかなか良い場所を見つけることができず足湯程度の湯船しか作ることができませんでした。 (ネット上を調べた感じだと湯気が立っているので当日は水が多かったのかなぁと思います)

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その後は林道秋山線・渋峠草津を経由して高崎へと戻りました。

秋山郷各集落の住民の数は大都市と比べると非常に少ないもので、それだけの人数のために予算を組むことは必要のか?という問題が生じます。あくまでも個人的な意見ですが、そこに人が住んでいる以上は程度問題であれ生活を維持するために費用を投じるべきだと思っています。田舎があるから都市が成立する訳で採算性だけで論じてしまうことは疑問に思います。例えば採算性(効果)だけで考えたとき、訓練でしか使われることなく廃車を迎える消防車は街に不要であっと考える人は少ないのではないでしょうか。

阪神淡路大震災東日本大震災熊本地震などにおける災害復旧の速さに対する賞賛を多くの機会で目にしますが、その工事をしている人は誰でしょうか?それは皆さんの忌み嫌う公共事業と土木や建築に携わる人達なのではないでしょうか?

最後になりますが「程度問題」という曖昧な言葉に逃げていることは百も承知です。常に自分が都市のインフラを享受し続ける強者であり続ける自信の根拠を考えてみてはどうでしょうか?「コンクリートから人へ」のスローガンが懐かしく思いますが、人の生命や財産や経済活動を守るコンクリートの存在も忘れてはいけないと思っています。